2009年11月5日木曜日

いよいよ検査日が近づきました。

 胸部上向動脈瘤直径47ミリが、如何様に変化しているかが検査のポイントです。
エコーとCTの撮影があり、その日のうちに結果が判明します。

 前回はの診察では、6年間に2から3ミリしか太くなっていないから、様子見(経過観測)
という結論がでたことから、素人考えで推論すると、その後あまり変化がないから、あと一年ほど
様子を見ましょうか、それとも、この際除去して人工血管をに取り替えますかと、多分、主治医は
私に問いかけることになるでしょう。なぜならば、
 
 ①高血圧のコントロールが極めて順調で、上が平均130台で推移していること。⇒このまま、1年間ぐらいは放置しても問題ないと考えられること。
 ②動脈瘤は、一旦膨れてしますと、太りこそすれ、縮むことがない、現在のように体力のある内に
治療する方が、もっと体力低下する先にするよりも、リスク(5%ぐらいという)が少ないから、
手術をするという選択肢もある。

 この観点から、患者である小生に問いかけ、いわゆるインフォームドコンセントの標準動作にでることが、予想されます。さて、あと数日後、検査の結果や如何?

2009年9月23日水曜日

敬老の日に、感じたことなど。

 95歳の祖母の敬老の日。2歳の孫を含めて総勢 11名で食事をしました。
95歳の義母、楚々とした麗夫人で、いかにも華奢な感じで、親戚には
がんで亡くなった方も多く、まさか95歳の今日を迎えれるとは考えられませんでした。

 極めて痩せぎすで、痛々しいが、背筋はしゃんと伸び、血圧始め、悪いところはないと言う。
しかも、会話は要領を得て、よどみなく、無駄がない。食は細く、どこに長寿のエネルギーが潜んでいるのか疑いたくなるほどです。

 義父の介護には、病院通いで頑張りぬいて、足腰を鍛えてきたことは違いないです。それと30年間の島での田舎暮らしが、とっても気にいって、よく畑の草取りが好きだといっていたことを思い出します。現在、老人ホーム暮らしですが、田舎の草取りを今も懐かしんでいます。

 95歳といえば、大正生まれ、食糧難の時代に、成長期を迎えています。決して豊かな生活環境でなかったことが、現在の好結果を生み出したのかも知れません。飽食の時代は過ぎつつあるかも知れませんが、健康には適度な貧しさ(?)がいいのでしょうか。敬老の日に考えさせられました。

2009年9月6日日曜日

胸部上向大動脈瘤の経過観測をめぐって

 標題の大動脈瘤が発見されたのが、昨年、春でした。定期健診の胸部レントゲン撮影のときに、かかりつけ医が見つけてくれました。直径が47ミリの大きさ。正常値は20~30ミリですから、明らかに異常で、50ミリを超えると手術を要するという。比較的早期発見で、エコー、CTの撮影をその後、3ヶ月間隔で、検査し、いわゆる経過観測の期間に入りました。ほぼ50ミリに接近した時点で、かかりつけ医は、手術の必要な時期に来たと、手術を覚悟するように告げました。
 
そこで小生は、医療知識の専門的知識のないながらに、あることに気がつきました。

◆ 今回の大動脈瘤の」発見が、通常の胸部レントゲン撮影が切っ掛けであったことに関連して気がつ 
いたことでした。6年前に泌尿器科関連のがん治療のため、大手術をしました。その後の経過は良好で、今日に至っています。そこで思い出したことがあります。大手術の前には、当然、全身のレントゲン撮影を行います。 大手術を受けるに堪える身体かどうか、他に欠陥はないかを調べるためです。
記憶の通り、MRIの撮影を当時していました。胸部の撮影もしている筈でした。
その記憶を頼りに、病院に確認チェックを依頼したところ、案の定、大動脈瘤の兆候は、もう既に、ありました。

◆ 手術の目的が、泌尿器であるため、当時のMRIの胸部の異常には、何ら気に留めることが
なかったようです。後日、もう一度、そのMRIを担当医に見てもらったところ、大動脈瘤の発症が既に
会ったことを認めています。6年前の大動脈瘤の直径は、正常値をはるかに超えていました。

◆ 6年前のMRIの再チェックの結果、病院の心臓血管外科医は、6年間で、直径が2~3ミリしか
増加していないことを、認識して、今直ちに手術の執行をせず、先延ばしする治療方針を決めたような次第です。取敢えずの手術は、中止になりました。

 この手術、当座、実施しない方針への変更は、6年前のMRIの撮影との直径数値の比較が切っ掛けでした。なんと是に気がついたのは他ならぬ患者である小生の記憶でした。
もし、小生が6年前のMRIのことを申し出ていなければ、今頃はもう既に大動脈瘤の大手術を執行していたと思われます。

 このことは何を意味するでしょうか。手術執行方針の時期変更を、患者である小生のアイデアで
決定されと云わざるを得ない事態でした。

◆ 患者は自分自身を守る最大の味方である。
◆ 患者は、時として医師以上に賢明な医師になりうる。
◆ 全方位治療ということばあるかどうかは知りませんが
  現代の医療は、近視眼的治療である。それは医療機関の
  縦割り組織が災いしている。心臓血管外科の治療に当たり
  泌尿器科のMRI情報の存在が分からなかった。

 現代医学の「チーム医療」の脆弱な一面を垣間見た思いがします。

2009年4月11日土曜日

お久しぶりです。

血圧は正常です。されど服薬中なり。

カルシューム拮抗剤とβ遮断剤を併用しています。β遮断剤を投与してから、徐脈の状態に陥っています。脈拍が30~40拍とゆっくりです。これは副作用と危ぶまれているようです。130-70-50を夫々上限に推移しているので、取敢えずは、コントロールできていると自己判断しています。

実は、このβ遮断剤投与は、掛かりつけ医の判断でなく、さる病院のセカンドオピニオンの診断によるもので、掛かりつけ医は,やや納得がいってないふしがあり、しぶしぶ投与したような感じです。

徐脈は今まで無かったのに、それ見たことかという態度がそれとなく感じられます。これではセカンドオピニオンも困ったことですね。

2009年2月8日日曜日

しばらくぶりに投稿を再開します

 自己の病気治療、予防治療、検査診断には、いろいろとドラマがあります。
目下のドラマは、「なすべきか、なさざるべきか」の選択です。まるでシェークスピアのハムレットに出てくる台詞もたいですが、真剣なテーマーです。「セカンドオピニオン」というのは、「インフォームドコンセント」とやらと共に、やたら宣伝され精か、言葉としては定着しかかっています。しかし、実態は本質から離れて、医療機関側の医療行為の責任転嫁に使われて、形骸化しているきらいがあります。
後者の場合で、患者の立場で、気になるのは、どちらが医者でどちらが患者か判らないほど攻守のところを替えることが多いことです。血圧が高いときに「降下剤をのみますか?」「薬を変えますか?」などしきりと医者が患者に問い掛けることが多くなったことです。実際は「降下剤は嫌です」とこちらが言えばその通りになり、逆の場合は、投薬に変更するといった具合です。「セカンドオピニオン」に至っては
一応信頼できると思われる医療機関のセカンドオピニオン外来を受診したけれど、大手術をするかしないかの大問題を巡って、両者の見解が正反対になってしまった状態に今、直面して、その板挟みで
患者である私は、どっちつかづで、どうしたらよいのかはっきりしない状態の置かれています。
しかも、セカンドオピニオン外来の投薬処方を一方の医療機関がその意見を実行しようとしない。
一体何の為のオピニオンか判らず、診断医療費だけ、無駄になった感じでいます。
そいう経験をしています。自分で責任を取らない「インフォームドコンセント」、相手の意見を尊重しない「セカンドオピニオン」 こんなことで言い訳がありません。もう少し具体的に触れてゆきます。

2009年2月5日木曜日

しばらくぶりです。申し訳ありません。

満身創痍で気息奄々。でも結構前向きにやっています。その後の小康状態をも分析して行きます。