95歳の祖母の敬老の日。2歳の孫を含めて総勢 11名で食事をしました。
95歳の義母、楚々とした麗夫人で、いかにも華奢な感じで、親戚には
がんで亡くなった方も多く、まさか95歳の今日を迎えれるとは考えられませんでした。
極めて痩せぎすで、痛々しいが、背筋はしゃんと伸び、血圧始め、悪いところはないと言う。
しかも、会話は要領を得て、よどみなく、無駄がない。食は細く、どこに長寿のエネルギーが潜んでいるのか疑いたくなるほどです。
義父の介護には、病院通いで頑張りぬいて、足腰を鍛えてきたことは違いないです。それと30年間の島での田舎暮らしが、とっても気にいって、よく畑の草取りが好きだといっていたことを思い出します。現在、老人ホーム暮らしですが、田舎の草取りを今も懐かしんでいます。
95歳といえば、大正生まれ、食糧難の時代に、成長期を迎えています。決して豊かな生活環境でなかったことが、現在の好結果を生み出したのかも知れません。飽食の時代は過ぎつつあるかも知れませんが、健康には適度な貧しさ(?)がいいのでしょうか。敬老の日に考えさせられました。